和算からADICへ:手順に根ざした数学文化の進化
- kanna qed
- 1 時間前
- 読了時間: 12分
日本の江戸時代に発展した和算(わさん)は、西洋数学とは異なる独自のアプローチで数学を探究しました。17~19世紀の日本は鎖国政策で西洋から隔絶されていましたが、その間に和算は独自の伝統を築き、いくつかの有名な定理を西洋と独立に発見するほど高度な体系を発達させました。本記事では、和算の本質とその文化的特徴を整理し、現代の計算技術ADIC(後述)との対応関係を考察します。ADICは「和算2.0」とも言える存在であり、江戸和算の哲学を現代の計算機科学やAIの安全性に応用した技術です。その歴史的背景と具体例を交えて解説します。

和算とは何か:手順そのものの数学
和算とは一言でいうと、定理の体系ではなく「算法(計算手順)」そのものを数学の本体とする計算文化です。西洋数学のように公理から定理を論理的に証明する体系ではなく、「いかに計算するか」という手順の透明性・再現性・有限性を最重視しました。このため、問題に対する解法の手順こそが数学的価値と見なされ、解の正しさも手順を他者が再現できるかどうかで保証されました。
和算の特徴1:手順中心主義
和算の数学書では一般理論よりも個々の問題とその解法アルゴリズムが示されます。例えば中国の古典『九章算術』やそれを継いだ和算の書物では、「この問題にはこのように解く」という問答体で解法が列挙されるだけで、なぜそう解けるのかという証明は記載されません。江戸初期に吉田光由が著した和算書『塵劫記(じんこうき)』も、問題と答案・計算手順が次々と示される構成でした(後述)。証明抜きであっても解法の手順が再現可能であればそれで良しとされ、数表や図版を用いて計算過程を丁寧に示すことに注力したのです。このように「数学的真理」は定理より計算過程に宿るという姿勢が、和算を貫く重要な特徴です。
和算の特徴2:有限の操作主義
和算では無限に収束する極限過程よりも、有限の操作で完了する計算が好まれました。現代的に言えば、和算家たちはしばしば近似計算や有限項の算法によって問題を解いており、無限級数や微積分の極限概念には深く踏み込みませんでした。例えば円周率πの計算において、吉田光由は『塵劫記』の後の版でπの値を読者への遺題(挑戦問題)として提示しました。これに対し村松茂清は1663年、内接多角形の周長を計算するアルキメデスと同様の手法でπを約 3.14195264877と求めています。さらに和算の天才、関孝和は2^{15}・2^{16}・2^{17}角形の周長から無限辺数の多角形(=円周)の周長を推定し、π = 355/113という驚異的に正確な近似分数を導き出しました。関は多角形の周長の差に着目し、それが等比数列をなすと仮定して有限の計算で極限値を求めています。このように有限の手順の組み合わせによって解を得る工夫こそが和算の信条でした。実際、和算では有理・無理数の厳密な区別すら重視されず、そろばん上で物理的に数を表現できれば同じ「数」と見なす風潮がありました[4]。無限小や連続的な座標平面の概念にも踏み込まなかったため、西洋のような微分積分学の体系化には至りませんでした。しかしその制約の中で、有限で確実に計算可能な範囲で驚くべき成果を挙げていたのです。
和算の特徴3:レシピ文化としての算法書
和算の著作は定理集ではなく算法(計算法)のレシピ集として編まれました。代表的な和算書である吉田光由『塵劫記』(1627年初版)は、当時普及し始めた算盤(そろばん)の操作法を解説しつつ、日常の実用問題から娯楽的な難問まで幅広い算題を網羅しています。特に寛永11年(1634年)版以降では読者を飽きさせないよう工夫され、田畑の面積計算、川幅の測量、幾何数列の応用問題、さらには有名な「円盤抜き(ジョセフソン)の問題」まで、ジャンルも難易度も多彩な問題が順不同に収録されました。各問題に対して具体的な計算手順(アルゴリズム)が示されるだけで、統一的な理論の説明や証明はありません。まさに料理本のレシピのように、「この材料(与えられた数)にはこの手順で調理(計算)すればこの料理(答え)ができる」という形式なのです。このレシピ文化では、証明の華麗さではなく手順の流麗さそのものが鑑賞の対象でした。算法の手順が無駄なく巧妙であれば、それ自体が「美しい数学」として称賛されたのです。
和算の特徴4:社会に開かれた数学
江戸時代の日本では、数学は武士から庶民に至るまで幅広い層に楽しまれ、生活文化に溶け込んでいました。和算の発展を支えた大きな要素が、このオープンで参加型の数学文化です。武士階級の教養として始まった和算は、やがて寺子屋や私塾で庶民にも教えられるようになり、身分や年齢を超えて多くの人が算法の習得に励みました。さらに、印刷出版ができない者でも成果を公表できるよう、算額と呼ばれる木製の絵馬に数学の問題と解答を記して神社仏閣に奉納する風習が生まれます。算額にはカラフルで美しい幾何図形が描かれた難問が多く、見る者への挑戦状として境内に掲げられました。いわば「屋外に掲示された数学論文」です。例えば京都の北野天満宮に現存する1686年奉納の算額(現存最古の完本算額)は、大小様々な円や三角形の図形が描かれ、その数学的関係を問う難題がしたためられています。算額は宗教への奉納であると同時に最新の数学発見の公開発表でもあり、「ニュートンが論文を本ではなく教会に掲示したようなもの」とも形容されています。解答や証明は詳しく書かれない場合も多く、その定理自体が未解決のまま後世に伝わった例もあります。こうした算額文化は江戸後期まで続き、現在確認されている江戸期算額は400枚以上にも上ります。
また、和算の著作における遺題継承の慣習も、数学を社会に開いた重要な仕組みでした。先述の吉田『塵劫記』の円周率のように、和算書の末尾にはしばしば筆者から読者への挑戦問題(遺題)が掲載されました。読者たちはこの難問に挑み、解ければ自ら和算書を著して発表したり、あるいは前述の算額に解答を奉納したりしました[13]。解けなかった問題は次世代の和算家に引き継がれ、新たな創意工夫を促したのです。実務的な算術から生まれた問題もあれば、当時の和暦の誤差を正す暦算(れきさん)のように社会的要請で生まれた問題もあります。例えば幕府天文方の渋川春海(安井算哲)は、和算の知識を駆使して中国伝来の暦を改良し、1684年に貞享暦を完成させました。彼は日本初の天文学者として暦改革に成功し、後にその功績は小説や映画『天地明察』で広く知られるところとなりました[21]。このように江戸時代の和算は、趣味的な楽しみから国家的プロジェクトまで、社会と直結した開かれた数学だったのです。
和算の成果と意義
以上の特徴を踏まえると、和算は「手順の数学」という独自路線を切り拓いたと言えます。証明偏重ではなく計算法偏重であったことで、西洋の数学とは異なる発展を遂げましたが、その中からも画期的な成果が数多く生まれました。特に関孝和(1642?-1708)の登場は和算史のハイライトです。関はそれまで個別問題の解法集に留まりがちだった和算に一般理論の萌芽をもたらしました。例えば高次方程式の解法について、それまでは一元一次方程式程度しか扱えなかったのを、関は天元術という手法を発展させて多元高次方程式にも統一的に対処し、行列式を利用した連立方程式の消去法(結果式の理論)を確立しました[22][23]。これは西洋でライプニッツが行列式の概念を発見するのとほぼ同時期であり、関は独力でそれに到達したことになります[24]。さらに関は「割序(割算の一般化)」による多項式の数値解法を考案し、これはラッフINIやホーナーによる解法に先立つものとなりました[25]。ほかにも関はベルヌーイ数に相当する関流数(関・ベルヌーイ数)を導入してべき乗和の公式を発見し、合同式の一般解法(中国剩余定理の一般解)を与えるなど、多方面にわたり欧州に先駆けた発見を行っています。とりわけ数値計算では、先述の円周率計算においてAitkenのΔ^2加速法に相当する巧妙な加速収束法を編み出し、円弧長や球体積の高精度計算に成功しています。このような関の功績は、和算が単なる「算法集」に留まらず高度な数学的創造性を秘めていたことを示しています。彼の業績は弟子達によって『括要算法』などにまとめられ、没後には『解伏題』や『綴術算経』として出版されました。総じて和算は、独自の制約下でも世界に通用する数学的成果を生み出し、日本の数学史に輝かしい足跡を残したのです。
ADIC台帳とは何か:手順の透明性による計算の保証
ADICとは、Advanced Data Integrity by Ledger of Computationの略称で、計算プロセス自体を厳密に記録・検証するための先端的な技術概念です。一言で表せば、「計算の手順を改ざん不能な有限台帳(Σ₁ログ)に記録し、その手順の正しさを第三者が再現可能にする技術」です。計算結果の正しさは、その過程が全て公開され再現できること(透明性と再現性)によって保証しようという発想で、まさに和算が重視した理念を現代に蘇らせたものです。
具体的にADIC台帳では、あるアルゴリズムを実行する際の全ての基本操作(四則演算やデータ操作など)を逐一ログ(L<sub>ops</sub>)として記録します。記録された履歴はブロックチェーンのように改ざん不可能なデジタル台帳となり、計算の「単一の真実の源泉(single source of truth)」として機能します。第三者はその台帳上の手順を最初から追試(Verify)することで、結果が再現できるか確認できます。実際、研究例ではユーザが履歴上の全操作を再実行して結果の正当性を検証することが提案されています。手順が完全に再現されれば計算は正しいし、途中で食い違えば改ざんやエラーが検知できるわけです。このようにADICは計算過程の透明性によって計算結果の正当性を保証する新しいパラダイムと言えます。
さらにADICでは、計算が有限時間で必ず完了することも重視します。無限の反復や収束計算は台帳を無限に長くしてしまう恐れがあるため、有限の丸め(外向き丸め)や有限長のウィンドウ処理、有限回の畳み込み演算など、あらゆる工程を有限回の操作に置き換える設計指針がとられます。これはコンピュータの計算が物理的に有限であることとも整合していますし、和算が無限級数より有限算法を好んだ精神にも通じます。実際、ADIC台帳に記録されるログは論理学的に言えば存在記述(Σ₁文)に相当し、有限の証拠列として検証可能な形式になっています。こうした有限性の厳守によって、「必ず終わる計算」「誰が再現しても同じ結果になる計算」のみが台帳に載ることになります。
最後に、ADICは公開台帳の形態をとることで社会に開かれた計算を実現します。ブロックチェーンが全参加者に取引履歴を公開するように、ADIC台帳も計算プロセスを関係者あるいは必要な利害関係者に公開します。誰でもそのログを検証(verify)できるため、計算結果を権威ではなくプロセスの信頼性で受容する文化を育みます。これは江戸時代の算額が「誰でも挑戦し検証できる場」として機能したことのデジタル再現と言えるでしょう。
和算とADICの対比:哲学の完全対応
以上見てきた和算の本質とADIC台帳の理念は、驚くほどよく対応しています。和算で重視された点が、そのままADICの技術思想として昇華されているのです。以下の表にその対応関係をまとめます。
和算の本質 | ADIC台帳の本質 | 対応関係(断言) |
手順中心(どう計算するかが本質) | 各操作をL<sub>ops</sub>として逐一記録(計算ログ) | 「手順=数学の本体」がそのまま技術に昇華 |
有限操作主義(有限回の算法) | 外向き丸め・有限ウィンドウ・有限畳み込み・Σ₁ログで有限性を保証 | 無限過程を排除して“必ず終わる計算”にする |
レシピ文化(算法書) | Ledger=機械可読な算法書(手順書) | ADIC台帳は和算の算法書のデジタル版 |
再現性で正しさを担保 | Verify(L)による再計算で結果検証(第三者検証可能) | 和算の“手順一致=正”を数学的に形式化 |
社会に開かれた数学 | 誰でもVerifyできる公開台帳(透明で改ざん不能な共有記録) | 算額文化の現代デジタル再現 |
ご覧のように、ADICは和算の哲学をそのまま現代技術に投影したものと捉えられます。和算が「数学的真理は手順に宿る」と考えたように、ADICも「手順そのものの正しさまで数学(論理)で保証しよう」とします。和算が大切にした手順の透明性・有限性・再現性という価値観を、ADICは計算機システムにおける安全性・信頼性の文脈で復活させているのです。
おわりに:和算2.0としてのADIC
以上の考察から、ADICは江戸和算の哲学を現代に甦らせた「和算2.0」と言って良いでしょう。和算は証明より計算手順を尊び、有限で誰もが再現できる算法の蓄積をもって発展しました。同様にADICは、計算手順の記録と検証を通じてコンピュータ計算の信頼性を高めようとするものです。和算:手順中心+有限+再現。ADIC:手順の透明化+有限閉包+台帳検証。まさに両者は一直線上に連続しています。
21世紀の今日、AI(人工知能)や複雑なアルゴリズムの判断過程を人間が理解・信頼することが大きな課題となっています。その解決策の一つとして、ADICのようにアルゴリズムの「算譜」を公開し検証可能にするアプローチは有力です。これは「AIに和算の魂を宿らせる」こととも言えます。江戸時代、和算家たちは算額や遺題によって互いの算法を検証し合い、文化として数学を発展させました。同じ精神で、現代の計算機社会においても計算過程をオープンに共有・検証することで、安全で信頼できるAI・アルゴリズム社会を築けるかもしれません。
和算の本質が「手順そのものの数学」であったように、ADICは「手順の正しさまで含めて数学にする」技術です。400年の時を超えて、和算のDNAがサイバー空間に受け継がれていると考えると、とてもロマンを感じませんか?和算とADICの対話から、生徒・学生の皆さんもぜひ数学の新たな可能性に思いを馳せてみてください。
最後に要点をまとめます。
· 和算=手順そのものを究極的に重視した数学。証明より算法、無限より有限、個人の技巧より共同体での共有と検証を尊ぶ文化。
· ADIC=その和算的理念を計算機で実現する技術。計算手順を台帳化して透明性を確保し、誰もが再現検証できることで計算の正しさを保証する。
江戸時代の和算に学び、私たちも「数学とは何か」を改めて考える契機になれば幸いです。そしてADICの概念がさらに発展すれば、和算がそうであったように、数学が社会の隅々まで浸透し人々に楽しまれ信頼される未来が訪ることでしょう。



コメント