「情緒」を計算機の中心に据える試み:Wasan 2.0 (Oka Kiyoshi Edition) 実装ノート
- kanna qed
- 12月5日
- 読了時間: 3分
■ はじめに:巨人の肩の麓にて
昭和の数学者・岡潔。多変数関数論におけるその偉業は言うに及ばず、「春宵十話」などで語られる「情緒」や「日本のこころ」についての思想は、今なお多くの人々を惹きつけてやみません。
その深淵な思想に対し、私たちのような一介の技術者が「理解した」などと語ることは、あまりに不遜であると自覚しています。岡先生が見ていた数学的風景の全貌は、今の私たちには到底計り知れません。
しかし、現代のAIや計算機科学が行き詰まりを見せている今、その突破口が岡先生の言葉――「人の中心は情緒である」――の中に隠されているのではないか。そう信じ、畏れ多くもその哲学を現代のOSアーキテクチャとして「翻訳」しようと試みたのが、本日公開するデモ「Wasan 2.0」です。

■ 現代計算機への問い:滑らかな「死んだ数学」を超えて
現在のAIは、計算効率のために世界を「滑らかなもの」として処理します。データとデータの間を勝手に曲線でつなぎ、微分可能な形に整形する。デモの中ではこれを、自戒を込めて「Dead Math(死んだ数学)」と呼びました。
しかし、現実の「生」はもっと予測不能で、ゴツゴツとした揺らぎ(Ghost)に満ちています。岡先生が晩年まで問い続けた「生命」や「情緒」。それを切り捨てるのではなく、システムの中核として受け入れることは可能なのか。私たちはこの難題に対し、以下の3つの工学的アプローチで挑みました。
■ 実装された3つの「岡潔的視座」
本デモは、岡先生の定理そのものの解説ではなく、その思想をOSの設計思想(アーキテクチャ)へと変換したものです。
局所計算から「大域的視点」へ微積分による局所的な最適化ばかりを追い求める現代AIに対し、多変数関数論の肝である「領域全体を見る」視点を導入しました。デモ第2章では、局所的には穴(不安)が開いていても、全体として閉じていればシステムは崩壊しないという「有限閉包」の挙動を体験いただけます。
「不定域イデアル」の工学的解釈「領域があって関数が決まる」のではなく、「条件(イデアル)があって初めて領域が決まる」。この逆転の発想は、セキュリティ設計において極めて重要です。「安全である」という条件(イデアル)を先に定義し、それを満たす範囲だけを計算領域として動的に生成する。デモではこれを、未知の脅威に対する防御壁として実装しました。
ノイズとしての「情緒」を受け入れる心を閉ざせば傷つきませんが、それは「死」と同義です。デモ第3章では、外部からの揺らぎをノイズとして遮断するのではなく、「情緒」というパラメータで受け流し、吸収するプロセスを可視化しました。計算機が人間のように「揺らぎながら安定する」様子をご覧いただけます。
■ 結論:和算の未来への敬意として
この「Wasan 2.0」は、岡潔という数学者が到達した高みを、デジタル技術で再現できたと主張するものではありません。
そうではなく、論理と計算の極致にありながら「情緒」を説いた先人の知恵を借りなければ、これからのAIは人間と共存できないのではないか――その危機感と、深い敬意から生まれた一つのプロトタイプです。
数学と文学、論理と情緒。その狭間で格闘した岡潔の精神に、現代の技術でどこまで迫れるか。これはGhostDrift数理研究所による、ひとつの挑戦です。



コメント