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GhostDrift理論――河合隼雄が最後まで閉じなかった場所からの贈り物【人文知復興プロジェクト①】

—ユング心理学から生まれた、現代の境界理論

私たちは今、奇妙な時代を生きています。AIが答えを出し、制度が自動化され、あらゆる事象が「効率」で語られる一方で、肝心な何かが消え続けています。

それは「責任」です。

何かが起きたとき、「当時の基準では正しかった」「解釈の違いがある」「AIのブラックボックスだ」という言葉によって、誰が何を引き受けるべきだったのかという境界が霧のように消えていく。この現象を、私たちは「Ghost Drift」(=責任の蒸発)と名付けました。

この「蒸発」を食い止めるために、私たちは数理と制度の言葉を使い、ひとつの理論を構築しました。しかしその源流は、意外な場所にあります。日本におけるユング心理学の巨人、河合隼雄がその生涯をかけて守り続け、そしてあえて「閉じなかった」場所に。



人文知は「問いから逃げられなくする(=責任)」ために存在してきた

まず、私たちが掲げる「人文知復興」の定義を、既存のイメージからアップデートさせてください。人文知は、迷える人に寄り添う「優しさ」ではありません。あるいは、真実に到達するための「正解」でもありません。

本来の人文知とは、「問いから逃げられなくする(=責任)ための技術」でした。

ここで言う「責任」とは、誰かを罰したり、道徳的な正しさを押し付けたりすることではありません。 「後付けの意味の書き換えを禁じ、同じ問いの上に留まり続けること」

ソクラテスが「善とは何か」「国家とは何か?」を問い続け、仏教が「無明」の淵で自己を見つめ、ユングが「影(シャドウ)」を直視させたとき、彼らがやっていたのは「答えを与えること」ではなく、「安易な解釈で逃げる道を塞ぐこと」でした。

意味を自由に解釈できることは、自由ではありません。それは「無自覚な投影(自らの内面を外側に映し出すだけ)」であり、責任の放棄です。意味が「引き受けられる(Commit)」場所、つまり「境界」があって初めて、人は自分の生に責任を持てるのです。


河合隼雄が最後まで閉じなかった場所

河合隼雄先生の偉大さは、絶対に「これが正しい」という結論を出さなかったことにあるように感じています。先生は理論を体系化して閉じきることを嫌い、最晩年に至っても自らの原初体験である『泣き虫ハァちゃん』を書き記すことで、意味を「開いた」ままにしたのだろうと考えます。

私の読みでは、先生は、意味が物語として固定され、他者を支配する道具になることを最も警戒していました。だからこそ、その「器(境界)」としての場を、最後まで空っぽのまま守り続けたのです。

しかし、時代は変わりました。 AIが自動で解釈を生成し、制度が人間の顔を失った現代において、その「閉じなかった場所」を放置することは、そのまま「責任の蒸発」を許容することを意味してしまいます。

GhostDrift理論は、河合隼雄が意図的に閉じなかったその場所を、現代の私たちが「引き受けてしまった」場所から生まれました。

私たちは、先生が守り続けた「境界」という感覚を、現代のプロトコルとして実装し直さなければなりませんでした。それが、この論文で示された「境界プロトコル」です。


理論の核心:意味が「引き受けられる場所」を固定する

本論文(Jung as a Boundary Protocol)が提示するのは、ユングの思想を比喩ではなく、工学的な「硬さ」を持つプロトコルへと翻訳することです。


▼本論文(Jung as a Boundary Protocol)の全文は、下記に公開しています。https://ghostdrifttheory.github.io/jung-boundary-accountability/


境界パケット(Boundary Packet)のコミット 意味は、それが表明された瞬間に「スコープ、前提、検証条件」と共に固定(Commit)されなければなりません。後から「そういう意味ではなかった」と書き換えることを許さない、デジタルの台帳(Ledger)に刻印された境界です。

  1. 「影」の回避を許さない非遡及的構造 ユングの言う「影(シャドウ)」とは、私たちが見ないふりをしているものではありません。まだ引き受けられていない「力」そのものです。それは人間の中にある未整理の衝動、保身、あるいは言語化されていない可能性であり、影は向き合われた時にだけ、質の違う意味や力を立ち上げる源泉となります。 問題は、影があることではなく、影と向き合う前にそれを「正当化の言葉」へ変換し、外部へ投じてしまうことです。結果を見てから「そういう意味ではなかった」と語り直すとき、私たちは内側の動機を見ないまま、外側の言葉だけを整えてしまいます。 GhostDrift理論は、影をなくすのではなく、影が言葉へと変換される瞬間をコミットで固定し、後付けの物語化を許しません。動機が変わったのに境界が変わっていないとき、そこに「影」がある。ここでの「監査項目」とは、影を縮めることではありません。影が「後付けの物語」に化ける瞬間だけを捕まえるための、最小の形式です。私たちは影を、主観的な観念ではなく、厳密な形式として再定義しました。

  2. 反論の責任(Rebuttal Responsibility) 誰かの決定に異議を唱える者は、単に「反対」と言うだけでは不十分です。反対するならば、「代替となる境界」を自ら提示し、その境界における責任を引き受けなければなりません。そうでなければ、それはただの「無責任な投影」として記録されるだけです。


人文知の再起動

ユング心理学は、個人の「個性化」を説きました。それは、自分の中のドロドロとした無意識や影を、境界を持って引き受けていくプロセスです。

私たちが「人文知復興プロジェクト」の第1号としてこの論文を世に問うのは、それが単なる心理学の再評価ではないからです。これは、「意味の不可逆性」を取り戻すための、社会的な個性化の試みです。

GhostDrift理論は、影と向き合うことを禁じるのではありません。影と向き合った結果を、あとから書き換えられない形で引き受けさせるだけです。

人文知が蓄積してきた二千年の知恵を、数理と制度の武器に変える。 「答え」は出さない。しかし、あなたが下したその決断の「重み」からは、二度と逃がさない。

これが、河合隼雄という偉大な先達から受け取った贈り物を、私たちが現代という過酷な地平で磨き上げた答えになっていればと願うばかりです。


 
 
 

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