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DSGEと政策評価の説明責任:線形化・近似誤差を仕様化する「責任境界(Scope/Non-claims)」

DSGEはマクロ経済学の強力な共通言語だが、実際の政策決定は有限時間・単回決断で行われる。本稿では、漸近的な正当化を意思決定の責任へと変換するための「責任境界」と、それを担保する「有限閉包」「ADIC」の概念を提案する。


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1. DSGEの予測力ではなく仕様の問題:Scope/Non-claimsで説明責任を定義する 1.1 会議室の現実:無限の時間は存在しない

経済理論が長期的な均衡や定常状態を議論する一方で、現実の政策担当者は「刻々と迫る期限」の中で決断を迫られます。

  • 単回決断の重み: 金融政策決定会合や予算編成には明確な期限があり、その瞬間の「利上げ・据え置き」といった判断は、次の機会を待たずして経済に不可逆な影響を及ぼします。

  • 不可逆性と外部性: 一度実行された財政支出や規制導入を「なかったこと」にするコストは極めて高く、その効果は経済全体へと広範に波及します。

ここで重要なのは、モデルが「統計的に正しい」こと以上に、**「この一回の決断において、モデルは何を保証し、何を保証しないのか」**が明示されていることです。この仕様が不明確なままでは、結果に対する責任の所在もまた曖昧にならざるを得ません。

1.2 経済学が向き合うべき「仕様」の問い

これまで経済学ではモデルの予測精度(Forecast)に耳目が集まってきました。しかし、実務における制度モデルには、予測力とは別に「責任境界(Responsibility Boundary)」の定義が必要です。 責任境界とは、**「有限時点の意思決定において、モデルが明示的に担保する領域と、その外側(非保証領域)を定義した仕様」**を指します。この境界を明示することは、モデルを否定することではなく、その「正しい使い方」を工学的に定義する試みです。


2. DSGEが制度的基盤として選ばれる理由とその限界

2.1 共通言語としてのDSGE

DSGEモデルが批判にさらされながらも活用され続けるのは、それが単なる信念体系ではなく、**「政策評価における共通言語」**として機能しているからです。

  • 理論的一貫性: ルーカス批判を乗り越えたミクロ的基礎付けは、異なる政策シナリオを比較する際の「共通の土俵」を提供します。

  • 説明責任のプロトコル: 政策決定のプロセスを透明化し、客観的な数値に基づいて議論するための制度的なプロトコルとして、現在DSGEに代わる強力な枠組みは存在しません。

2.2 漸近的正当化と有限時間の乖離

しかし、DSGEモデルの正当化の多くは、サンプルサイズが無限に発散する際の「漸近的性質」や、ショックが繰り返される中での「期待値」に依存しています。 実務上の課題は、**「ほぼすべての実用的なDSGEの結果は線形化の結果である」**という点や、非線形な現実を大規模に単純化して解いている点にあります。

「長期的・平均的には正しい」という保証は、理論的には堅牢ですが、有限の時間窓で行われる「今回の一回」の判断に対する保証としては十分ではありません。ここに、理論と実務の間の「未定義領域」が存在します。


3. 提案:DSGEに「責任境界」を実装する

DSGEの経験的有用性を認めた上で、我々が問うべきはモデルの是非ではありません。**「意思決定が行われる有限時点において、仕様としての責任境界が与えられているか」**です。

We do not question the empirical usefulness of DSGE models. We question their lack of a finite responsibility boundary at the moment of decision.

「長期的には収束する」という理論的な逃げ道を塞ぎ、当該時点・当該領域内での保証仕様を与えること。それがモデルを「説明の道具」から「責任を負える技術」へと昇華させる条件です。

3.1 責任仕様の最小要件:Scope と Non-claims

モデリング者や政策担当者が共有すべき「責任境界仕様」として、以下の二つの枠組みを提案します。

Scope(保証範囲)

  • 状態領域 $\Omega$: モデルが有効と見なされる変数(インフレ率、出力ギャップ等)の変動範囲。

  • 誤差上界 $\varepsilon_{\rm cert}$: 近似・推定・実装に伴う総誤差の許容上限。

  • 出力の信頼区間: $g_{\rm true} \in [\hat{g} - \varepsilon_{\rm cert}, \hat{g} + \varepsilon_{\rm cert}]$ を明示する。

Non-claims(免責事項)

  • 構造変化: レジーム転換や急激な市場構造の変化(ブラックスワン的事象)は保証外とする。

  • 外挿の限界: 観測窓 $T$ を大幅に超える長期予測の非保証。

  • 外部要因: モデルに組み込まれていない政治的バイアスや実装遅延の影響。


4. GhostDriftによるアプローチ:有限閉包とADIC

責任境界を制度的に担保するために、二つの技術的概念を導入します。

4.1 有限閉包 (Finite Closure)

モデルの適用範囲をあえて有限の集合(状態空間 $|x| \le R$、時間軸 $t_0+H$)に「閉じる」数学的な手続きです。 「この範囲外については、モデルは何も語らない」と宣言することで、無限遠への依存を構造的に排除し、有限時間内の意思決定に責任を集中させます。

4.2 ADIC (Audit-ready Deterministic Index of Calculation)

「信じてくれ」ではなく「検証してくれ」というスタンスへの転換です。 各計算ステップ(線形化、カルマンフィルタ等)における演算内容、浮動小数点の誤差、計算の成否をすべてレジャー(台帳)として記録します。これにより、第三者が総誤差 $\varepsilon_{\rm cert}$ の妥当性を事後的に検証可能にします。


5. 具体的な実装イメージ

線形化された状態空間モデルにおいて、責任境界をJSON形式の仕様書(証明書)として出力する例を考えます。

{
  "model": "DSGE-linearized-v1",
  "valid_domain": {
    "state_space": "||x|| <= R",
    "time_horizon": "H=8 quarters"
  },
  "error_budget": {
    "approximation": 0.012,
    "estimation": 0.020,
    "total_epsilon": 0.035
  },
  "non_claims": [
    "structural_breaks",
    "exogenous_political_shocks"
  ],
  "verification_hash": "sha256:..."
}

このような「仕様書」が政策資料に添付されることで、DSGEは単なるシミュレーション結果を超え、**「どの範囲で責任を持ってこの政策を推奨しているか」**を語るエビデンスとなります。


6. 結論:DSGEを壊さず、責任仕様を追加する

DSGEモデルを捨てる必要はありません。むしろ、その高度な理論的裏付けを、現実の「有限な意思決定」へと接続するための橋渡しが必要です。

責任境界(適用領域 $\Omega$、時間窓 $T$、誤差上界 $\varepsilon_{\rm cert}$)を仕様として定義すること。それによってDSGEは、より強固な信頼を勝ち取る「責任ある制度技術」へと進化します。有限閉包とADICの導入は、経済学が歩んできた理論的蓄積を、現代の意思決定のスピードと透明性の要求に応えるものにするための、最小かつ不可欠なアップデートなのです。


▼ご参考

電力需要の監査モデルを公開しています。DSGEにそのまま応用可能です。



 
 
 

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