危機管理投資の一丁目一番地は、責任問題の数理化にある
- kanna qed
- 1月7日
- 読了時間: 6分
危機管理に金を使っているのに、事故は繰り返される。 理由は「想定が足りない」からではない。 責任が後から動かせる構造が残っているからだ。
この記事の主張: 危機管理投資の一丁目一番地は、冗長化でも予測でもなく、「責任を数学的に固定できるか」にある。
第1章:危機管理に金を使っても“効かない”現場の共通症状
多くの企業が危機管理に莫大な予算を投じています。しかし、その現場では奇妙なほど共通した「停滞」が見られます。
監視システムを強化し、アラートの数を増やす
事故が起きるたびに、委員会・レビュー・再発防止策の書類が増える
ルールが細分化され、チェックリストが積み上がる
例えば情報漏えい等のインシデントでは、事故後の初動と調査だけで、PCとサーバー数台規模でも概ね300〜400万円程度が必要になる、と業界団体の損害額調査レポート(JNSA)で整理されています。被害範囲が拡大して調査対象が増えると、費用は数千万円以上に膨張し得ます。 さらに事故後は、フォレンジック調査の外部委託、法律相談、コールセンター委託、詫び状送付、システム復旧、再発防止策が並行して走り、個別に数百万円単位の支出が積み上がります。 ※金額はインシデント対応の典型的な費目構成を示す参考値で、被害範囲・対象台数・委託範囲により大きく変動します。
これらはすべて、責任の所在や判断基準が不明瞭なまま「説明」を尽くそうとすることで増幅しやすい、管理不能な負債です。事故の後に“説明”が増殖し、いつまでも収束しないことこそが真の問題なのです。
AI運用や物流DXの現場でも同様です。「現場は当時のルール通りに動いた」「モデルは当時の基準では正しかった」といった誰も嘘を言っていない状況下で、結果として「誰が、いつ、何の基準で判断したか」という責任だけが霧散し、現場が疲弊していく。これが私たちが直面している危機の正体です。
第2章:危機とは何か —— 「責任が動く」という真の恐怖
ここで、「危機」という言葉を再定義する必要があります。
基準の更新自体は必要です。問題は、その更新が「過去の判断」まで書き換えてしまい、責任点を消してしまうことです。“責任が動く”とは、具体的に以下の3つの現象を指します。
事後に評価基準がズレる: 事故が起きた瞬間に、それまで許容されていた閾値やKPIが「不適切だった」とされ、後出しの採点規約が適用される。
事後に説明が再構成される: 当時の判断理由が、現在の視点から「最適化」され、都合のいい物語に書き換えられる。
事後に決定主体が拡散する: 委員会化、外部委託化によって、「誰が決めたか」という一点がボヤけ、責任の所在が蒸発する。
危機対応の本質は、目に見える火を消すことではありません。責任点が蒸発し続ける**「構造火災」**を止めることにあるのです。
第3章:なぜ既存の危機管理投資は「二丁目以降」なのか
既存の危機管理投資は、大きく以下の4つに分類されます。
予測: 異常検知、需要予測、シミュレーション
冗長化: BCP/DR、バックアップ、フェイルセーフ
運用: 監視、手順書、権限管理、監査
コミュニケーション: 記者会見、広報、第三者委員会
これらはすべて「壊れた後にどうするか」を扱っていますが、「責任が動くこと自体」を止める機能を持っていません。 どんなに予測が当たっても、どんなにバックアップが万全でも、責任の所在が後から動かせるなら、組織は事故後の説明地獄から解放されません。
したがって、投資の順序は以下のように再定義されるべきです。

図1:正しい危機管理投資の順序
責任固定(後から動かせないか) ← 一丁目一番地
予測(事前にわかるか)
対応(被害を抑えられるか)
回復(元に戻せるか)
第4章:一丁目一番地=「責任問題の数理化」とは何か
では、責任を固定するとはどういうことか。それは「倫理」や「意識」の問題ではなく、「この判断は、後から動かせない」ことを機械的に保証することです。目的は犯人捜しではなく、「何が当時の基準だったか」を固定して説明増殖を止めることです。
具体的には、以下の3つの要素を数理的に結合させます。
基準IDの固定: どの規約、どの閾値、どの評価関数に基づいて判断したかを識別子として固定する。
証拠の固定: 入力データ、特徴量、中間生成物、出力までを一つのチェーン(証拠の連鎖)として固定する。
検証(Verify)の固定: 第三者が全く同じ証拠から、同じ結論に到達できる再計算性と整合性。
ここで重要なのは、「Verify」が何を保証し、何を保証しないかを明確にすることです。
「当時の基準が正しかったか」は議論の余地があるでしょう。しかし、「その基準で判断した」という事実を数理的に固定してしまえば、それ以上の不毛な“説明の再構成”は不可能になります。 これこそが、危機管理の本丸です。
第5章:各部門への実務的翻訳
この「責任の数理固定」は、各ステークホルダーに以下の価値をもたらします。
CFOへ: 危機管理投資は事故後の説明増殖が生む、「管理不能な膨大な時間的・金銭的負債」を抑制するための投資です。
法務・監査へ: 基準IDと証拠チェーンを固定することは、事故後の不毛な争いを避け、防御陣地を固めることに直結します。
現場・運用へ: 例外は必ず起きます。問題は例外そのものではなく、例外を後付けで正当化しようとするコストです。「例外を潰す」のではなく「例外として固定する」ことで、現場は過度な説明責任から解放されます。これは現場を締め付ける監視強化ではなく、事故後に“都合のいい物語”を作るための説明コストを止めるための、現場を守る防波堤としての固定なのです。
第6章:なぜ誰も「一丁目一番地」に投資してこなかったか
理由は技術の欠如ではありません。「覚悟」の問題です。
責任を数理的に固定するということは、組織にとっての「逃げ道」を塞ぐことを意味します。責任点が可視化され、合議の魔法が解け、“説明のうまさ”が通用しなくなる。この不都合な真実を直視する覚悟がなかったからこそ、これまで一丁目一番地は空き地のまま放置されてきたのです。
第7章:結論
危機管理に金を使うなら、まず「責任が後から動かせないか」を確かめるべきです。それができない投資は、すべて二丁目以降の努力になります。
まずは、組織における最も重要な判断から「基準ID・証拠チェーン・検証」の3点を揃えることから始めてください。
最小単位の例としては、アラート閾値の変更を「基準ID付き変更」として扱い、(1) 変更理由、(2) 影響(想定される誤警報/見逃しの増減など)、(3) 検証(再計算手順と結果)を1枚にまとめて固定します。 最後に、その1枚に責任者の署名を付ければ、以後「当時の基準で何をしたか」が後付けで動かせなくなります。
「嘘がつけなくなる構造」を先に買うこと。 それが、真のレジリエンスへの唯一の道です。
【付録】危機の3症状チェックリスト
□ 事故の後、当時の基準とは別の尺度で評価が始まっている
□ 事故の説明のために、当時の判断理由を「再構成」する作業が発生している
□ 「誰も悪くないが、組織として責任を取る」という言葉が頻出している
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